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登校拒否を生きる。


[特・2]登校拒否と常識。
「常識」とは何でしょうか。私たちは自明のことのように「常識」と言い、「非常識」だと非難をこめて言います。
困ったことに登校拒否に伴う現象は一見そのほとんどが「常識」から外れております。「昼夜逆転、引きこもり、食事のこと、一日のリズムの大きな崩れ」・・・、その他挙げれば切りがありません。第一、「登校拒否」そのものが、「学校へ行かなくなる」ということ自体が、「常識」から大きく外れております。
しかし、その一見「非常識」と見える一つ一つに実は深い意味があるのです。例えば「昼夜逆転」、一日のリズムが大きく崩れることには大きな意味があるのです。その方がこの時の過ごし方として無理がないのです。楽なのです。

この時は体内時計が大きくずれ込んで、外からの刺激、取り分け「学校に行かないでいるストレス」から心を安全に守ってくれます。「今は無理するな」と、心の奥から指令が出て、行かないようにさせているのです。「起きられない」ようにさせているのです。これ以上学校へ行けば、行こうとすれば、今度は本格的に「潰(つぶ)れ」ます。再度元気が出るのを、新しく動き出せるのをひどく遅らせます。 

昼間起きていれば「行けない」自分を責め続けていなければなりません。「自分以外の皆が、今ごろ元気でキラキラと頑張っている」と思い続けていなければなりません。「自分だけがどんどん取り残されていく」と感じ続けなければなりません。それは強烈なストレスです。傷も新たにつきます。たまったものではありません。昼夜逆転が、リズムの大きな「ずれ込み」が、「引きこもり」が、どのくらいこの時の「心」を安全に守ってくれていることでしょう。

「偏食はいけない。食事内容も、食事のリズムもとても大事だ」と常識は言います。しかし、この時は心の奥からの吐出しと重なって、ひどい偏食が起きたりします。拒食も過食も起きます。こんな形をとった心の奥からの「不安や恐怖」の盛んな吐き出しなのです。「アース」のようなものなのです。心の中に一杯溜まったものをどんどん吐き出さなければ心は軽くなりません。

一日の一番最初が午後の一食目、夕食、そして真夜中の三食目。これが「流れ」なら、その流れのままにいくのがいいのです。この時は「これ以上の無理をしない」ことが何より大事なのです。判断の基準なのです。「食事は家族一緒にとるものです。とりわけ夕食は一家団欒(だんらん)の大事な場ですよ」と常識はお節介に口をはさみます。これに囚(とら)われないことです。

カーテンを閉めきって籠っていると、「たまには日に当りなさい」「体に良くないですよ」とここでも常識はお節介なことを言います。しかし、この時、「籠る」こと自体が大事な意味を持っているのです。この時期をやり過ごすのにとても有効なのです。熊やテントウムシや蚕は戸口を開け放しで籠るでしょうか。蛇やトカゲは窓を開け放したままで冬籠りするでしょうか。時々引っ張り出されて日光浴をさせられるでしょうか。そんなことはありません。北風を避け、しっかり戸締りして、奥深い所で、ゆっくりと籠っております。人間も同じです。窓も厚いカーテンもしっかり締め切って籠るのです。それの方が何故か安全・安心なのです。

この時は「安全・安心」が何より大事なキーワードです。あれもこれも常識を外れることばかりですが、外れてこそ意味があるのです。それの方が安全・安心であり、これ以上のストレス・負荷がかからないのです。非常識ではないのです。常識を超えているのです。
どうか常識で大事なお子さんを責め立てないように。折角の安全・安心の居場所を脅(おびや)かさないように。家庭は必要ならいつでも我が子のためにそれが出来る唯一の場所です。それが出来てこそ初めて本ものの「家庭」と言えるのです。






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