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『登校拒否を生きる』
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[特・3]「普通」とは。
「普通になりたい」と諸君は言います。「普通の人に負けたくない」と諸君は言います。「普通」とはいったい何でしょうか。広辞苑から拾ってみます。

<普通とは>
広く一般に通ずること。どこにでも見受けるようなものであること。並(なみ)。一般。
普通課程、普通切手、普通教育、普通自動車、普通人、普通名詞、普通列車、・・・・

諸君が諸君の年齢で「普通」でいるとはどういうことでしょうか。
同じような仲間がいる。同じゲームをし、同じマンガ雑誌を読み、同じテレビを観て・・・。同じ遊び、同じ話題に関心があり、それに加わることができる・・・といったことになるでしょうか。

確かに諸君には「普通」でない部分があります。興味の方向がかなり違うことがあります。のめりこみ方にかなり差があります。総じてプライドが高く、頑固なところがあります。もう少し「普通」にやっていれば無理がなかったろうなあ、友達とも「なめらか」だったろうなあ、イジメやシカトに遭(あ)わなくて済んだろうなあというところがあります。

星の好きな子、星の本を読み、星の話を作ることが好きな女の子がおりました。入学して間もない頃、普通の話題の輪の中に加わろうとしましたが、何日かしてどうしても無理をしている自分がシンドくなり、その輪からそっと離れましたが、やがて激しいイジメに遭うようになりました。普通の輪の子達から「一緒にお弁当食べよう」と何度も声をかけられました。普通の輪の方から見れば「私達こそ無視された」「私達こそ被害者だ」という感じでした。

かつてある子が述懐したことがあります。小中学校時代「本当は休み時間は好きな本を読んでいたかった」「だけど程々には付き合わないとイジメに遭うから、程々に付き合ってきた」と。けっこう何人か親しい友達もいるように思われました。事実は彼女は彼女なりにけっこう気づかい、苦労もしていたのでした。

メキシコ古代史に関心のある子がおります。中央アジア史に大学生並に詳しい中学生がおります。太宰 治にのめりこむ中学生、じっと物思いにふけりたい少女、ひたすら詩を作る子・・・。
考えてみたら昔からこういう子はいたのです。ちゃんとクラスの輪の中に、輪のすぐ傍らに居れたのです。いつの間にかハジかれるようになりました。本当は皆一人ずつ違うのに、「普通」という塊と「異質」というごく少ない塊になってしまいました。傍らにそっと居れればいいのですが、ハジかれるのはやはり辛いのです。「自分は普通ではないのではないか」という思いが、そのまま「自分は異常ではないか」「おかしいのではないか」になってしまうのです。

「いろいろあって、皆んないい」という詩がどこかにありましたが、いつの間にかそれを許さない時代になってしまいました。いろいろな子がいて、いろいろな人間がいて、初めて社会は安全で豊かになると思うのですが、いつの間にかそうではなくなりました。一人々々がおかしくなったのではなく、「普通」と「普通でない者」を分ける基準が子どもの中に出来てしまいました。そういう基準を作らせる社会的な背景が出来てしまいました。
学校という所は「いろいろな子がいていて、皆んないい」という実感をしみじみ、つくづくと子どもの心に醸成する場所だと思うのですが、いつの間にかそうではなくなりました。
そうさせなくなった背景の方にこそ、しっかり目を向けることが大切です。





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