不登校 フリースクール 相談 カウンセリング の『のぞみ学園』

月刊のぞみ 不登校・登校拒否 相談 カウンセリング フリースクール

ハミング・ウォーカー原稿

『登校拒否を生きる』
[不登校を楽しく、大事に、味わい深く]
C対人恐怖


「恐怖」がたまたま人に対して現れることがあります。強弱は様々ですが、かなり一般的によく現れるケースです。「ひきこもり」自体がそのことと重なるかも知れません。人に対する漠然とした、あるいはかなり強烈な「恐怖」です。たまたま恐怖が「人に対して」現れたのです。「恐怖」が先なのです。ですから「訳の分らぬ恐怖がそうさせているのだ」という理解が周りの大事な人たちには必要なのです。

例えば担任の先生に対して現れることもあります。「何言ってるのよ。先生はいい人じゃない。怖い人なんかじゃないよ。あんなにお前のことを心配してくれてるじゃないか」といった応答は的外れなのです。「先生が怖いんだね。怖くてしようがないんだね」とそのまま同じように感じ、そのまま受け入れることが大事なのです(「共感的理解」と「あるがままの受容」)。お母さん自身はそう思えなくてもいいのです。お子さんに向かっている時だけはお子さんと同じ気持ちになってみることが大事なのです。 

「恐怖の吐き出し」であるという理解を基本に持っていなければなりません。周囲の別の人、全くの通りすがりの他人に対して出る場合も同じです。「お前に関わっているほど世間の人は暇じゃないよ」などは、何もわかっていない乱暴な応答です。「怖くて怖くて仕方ないんだよね」というところにきちんと立っていたいものです。
 
[特・4]「慣れる」ということ。
「登校刺激」はその発想の根元に「慣れさせる」といった理解(ほんとうは「誤解・曲解」)があります。登校拒否の諸君は「意志が弱い」「頑張りが足りない」「心の足腰が弱い」「自我の発達の未熟」とさえ言われました。それを少しずつ「慣れさせる」ことによって克服するのだと。

身体や運動のことなら、適切な「慣れ」への努力はあっていい、むしろそれこそ大切と思われます。しかし、心のストレスに関わることについて同じ発想が可能でしょうか。心の奥から発する「恐怖、不安」を「慣れ」によって克服できるのか、克服していいのか。これにはかなり問題があります。無理があり、その無理を敢えておかすと危険ですらあります。

42度の風呂なら、39度くらいから徐々に慣らして入っていくことは可能でしょう。しかし、50度のお湯でしたら、「慣らして」可能にする訳にはいきませんし、慣らそうとすること自体が危険です。登校拒否をしている諸君の大部分にとって、この時期の学校は42度のお湯ではなく、例えば50度の高温なのです。

水の汚れ、空気の汚れ、騒音といったものにどこまで慣れられるのか、慣らしてよいのか、どこからは「慣れ」がむしろ危険なのか。これにも多少の個人差はあるでしょう。しかし、個人差をはるかに越えた文句無しの危険領域があります。

急にトイレに行けなくなった子を、無理に励まして一人で行かせるのか、それとも「いいよ。いっしょに行こうね」と対応するのか。ただの「わがまま」なら、多少の無理をさせ、頑張らせてもいいかも知れません。「甘やかせば、クセになる」の論法が通じそうです。しかし、ストレスによって心のそこから噴き出るような「恐怖、不安」でそうなっている場合は、無理に行かせることはかえって傷口を広げます。回復をひどく遅らせたり、「僕は意気地のない子だ、弱虫なんだ」といった自己否定の気持ちを持たせたり、場合によってはそのトラウマが将来にわたって影響を及ぼすことにもなりかねません。

小さい頃のよくある些細な出来事です。それでも場合によっては結構深い心の現象なのです。まして学校で起こることはとてもこの程度では済まされません。
心の深いところから、ストレスによって起こる「不安・恐怖」については、「慣れさせる」のは困難ですし、むしろ危険な場合が多いのです。

未だに広く行われている「登校刺激」の発想は、理解の基本のところで間違っております。この考え方の根底に、不登校は「不適応・情緒障害」という誤解・曲解があり、その延長線上でこれらのことは立案・施行されてきたといってもいいでしょう(その主要人物の一人、I氏は「思春期挫折症候群」と言う極めて不適切にして乱暴な言葉まで使いました)。
「慣れ」への努力で克服できることなのか? それができるものでないことは、諸君本人も、そして共にそれを経験してきた家族にもはっきり感じられることです。

ただし、人のやることにはいつでも「例外」があるのです。「そこ」でどんな素敵な先生に出会うのか、どんな気の合う友達に出会うのか。それによっては「そこ」も家庭に次ぐ居場所になったりすることがあるのです。ただし、それはかなり楽になってきた人、あるいは最初からもともとかなり楽な人に限られるのではないでしょうか。そして、それはおそらく登校拒否の諸君のせいぜい数パーセントにも満たない数ではないでしょうか。

あるいは、何とか「頑張って行っている」場合、「不安・恐怖」の吐き出しは未解決のまま先送りされた訳ですから、いずれその分がまたどこかで出ることになります。私たちが関わった20代・30代のまだまだ苦しんでいる真っ最中の諸君の中に、かつてかなり無理をして頑張って学校へ行っていた諸君が何人もおります。
大人は皆、善意で、熱心で、一所懸命それをやったはずなのですが。






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