過食
心に一杯溜まったものが外に吐き出されるとき、「食」に関わる姿をとることがあります。「過食」「拒食」「あるものが急に食べられなくなる。飲めなくなる」「お母さんの作ったものが一切ノドを通らない」「あるコンビニで売っているものしか食べられない」等々、現れ方は様々です。
「過食」。強弱の差はあります。どうしても食べて食べてしまう。中にはそのたび吐く人もおります。それが習慣になってしまうこともあります。不安定になればどんどん食べてしまう自分を本人自身が責めております。「自責の念」に苦しみます。苦しみながらもどうしようもないのです。「食」のことで頭が占領されています。
「だから、かえっていいのだ」と思えます。苦しみが、恐怖や不安がそのまま激しく噴き出されずに、形を変えて「過食」という姿で現れてくれているのですから。恐怖や不安がそのまま激しく噴き出したら、それこそ心は「つぶれ」てしまいます。一日中「食」のことで頭が占められていれば、苦しみが激しいままストレートに止めどなく噴出するのは避けられます。
仕事柄、何人も過食の人に出遇ってきました。辛いことです。どうしようもない自分を責め立てながら、過食の苦しみから抜けられないのですから。しかし、多勢の諸君に出遇ってきて、つくづく教わったことがあります。
「過食」については全く心配ありません。過食の結果、身体をこわしたり(若年の中年病といったように)、体調を著しく崩したりした人には結局まだ一人も遇っておりません。乱暴な言い方のようですが、「安心して、心おきなく、充分に過食をしましょう」。
責める自分はどうしてもおります。この時は過食の諸君全員が軽い「うつ」状態になっているのだと思います。動きも鈍くなります。劣等感に苛(さいな)まれます。自分の「醜さ」がひどく気になります。どうしても辛いのです。
そういう時なのです、この時は。辛いでしょうが、苦しいでしょうが、「自分を責めるなら、責めながら」「醜さが気になるなら、気になるままに」いて下さい。しっかり、充分に、安心して「過食」しながら。
それでも、あまりに辛い時は、大変で「つぶれ」そうなら、思い切ってお医者さんやカウンセラーに相談しましょう。そうしなくても何とかいられそうなら、安心してゆっくりそうしていましょう。
過食はちっとも心配いりません。必ず一段落しますから。
そしてその後に、必ず素敵な貴方が待っていてくれますから。
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