うつ
心理的には連続した緩慢なストレス、あるいはイジメのような急激なストレスによって、心の中が「不安」や「恐怖」で溢れかえる程になり、それがいろいろな「行動」として現れたり、「症状」として現れたり、そのまま強烈な不安や恐怖として現れるのだと思います。
同時に、そのような形で吐き出されることによって、やがて心はまた軽くなり、一段落し、安定を得るのだと思います。
この状態を「気分」としてみれば、どの場合も共通して「うつ」の状態と言えます。「うつ」なら「うつ」のままで現れれば分かりやすいようですが、「仮面うつ病」という言葉もあるように、実際には「仮りの姿」で現れることが多いのです。不眠という形で現れたり、食欲不振で現れたり、過食で現れたり。「引きこもり」やいろいろな「こだわり」も、やはりその底を共通して流れているものは「うつ」なのだろうと僕は思います。
「うつ」は治す必要があるのか、あるいはそのままで良いのか。それはその程度にもよります。あまりにその「うつ」が大変で、それがまた新たな大きなストレスになるようでは困ります。そもそもストレスによって生じた苦しい状態です。そこへ更に新たなストレスを加重することだけは避けなければなりません。
「うつ」の薬は飛躍的に発展しました。「うつ」とはどういうことなのかがかなり解明されてきて、それに沿った的確な「抗うつ薬」が次々と出ております。子どもも、若者も、大人も含めて、「うつ」になる人は多いのです。真面目できちんとやらなければ気がすまない・・・これ自体はむしろ大事な資質、長所とさえ思うのですが、そういうタイプの人が「うつ」になりやすいのです。日本人はかなりその傾向が強く発症率が高いようですが、「うつ」は真面目で物事をきちんとやろうとする人の「勲章」でもあるのです。
完全な「うつ病」になる人もおりますが、実際には「うつ」的状態になる人が多いのです。僕も自分がその傾向を持っております。「うつ」になりやすいこと自体は、ちっとも恥ずかしいことではないのです。
ただ、大変だったらいいお医者さんに出遇い、的確な薬の手助けを受けましょう。一回でピタリというわけには仲々いかないかも知れません。しかし、何度か試しているうちに必ず自分に合った薬に出遇えます。心は健気(けなげ)に働いてくれているのです。これ以上あなたの大事な心を酷使しないようにしましょう。
割合楽にいられる場合。その時はしばらく「うつ」と一緒にいてみましょう。「昨夜はふさぎの虫にとりつかれてね」というチャプリンの言葉があります。あのチャプリンですら、たびたび「うつ」になることがあったのです。フランスの詩に「かれらは知らず、悲しみに涯あることの悲しみを」というのがあります。「憂き吾をさびしがらせよ閑古鳥」という芭蕉の句もあります。共通しているのは「うつ」です。「うつ」だからこそのしみじみとした味わいです。
時に「うつ」でいることは、存外良いのです。それがその人にとっては正常で、普通で、そして安全なのです。「うつ」の時だからこそ読める小説、聴ける音楽、解る言葉があります。東山魁夷さんのあの素晴らしい絵は静かな祈りの絵に思えますが、同時にその後ろに共通して流れているものは、静かな、優しい「うつ」のような気が僕にはします。「うつ」の時こそ、魁夷さんの絵を却って深く鑑賞できるのではないでしょうか。
「うつ」を治すために、早寝早起き、程よい日中の散歩、生活のきちんとしたリズムが必要と言われます。しかし、今は少し「うつ」でいた方が良い、それの方が安全で、それでこそ休養できる・・・、そんな気がする場合も多いのです。
「うつ」を嫌わずに、しばらくその「うつ」と一緒に仲良くいてみましょう。却っていろいろが見えてきます。いろいろが深く味わえます。「うつ」は人生の得難いしみじみとした友だちです。人生を深め、豊かにしてくれる大事な大事な「心の友」です。
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